2.2 マンガのもつ主張や風刺について

 私は今年度の就職活動で小学館に雑誌の感想文を書くように求められ、学年別学習雑誌の一つ「小学三年生」を買って隅々までていねいに読んだのだが、マンガ以外のグラビアなどの特集記事 には社会批判的なものは皆無で、基本的に事実のみ、しかも「いい面」だけの紹介文で終わっていた。マンガの原点が社会風刺にあることを思えば、もし「社会批判皆無」の方針で発行されている雑誌があれば、そこに掲載されるマンガのパワーダウンは避けられない。

 「小学三年生」97年7月号の目次をみてみると、国語や算数のドリル、読み物のページがある点があきらかに同社の「コロコロコミック」などと違う。実は「小学三年生」などは「学年別学習雑誌」と銘打たれているだけあって、他のマンガ雑誌とは立場的に違うところにある。子どもの保護者が間接的消費者層として関与するために「子ども雑誌であるが大人にも好かれなければならない」という矛盾をはらんでいる。この点では児童文学と似たところがある。子どもにとって面白いものであるかどうかだけでなく、子どもを「教育」する上で有益な内容を含んでいるかも重要な課題になるのだ。消費者である子どものところにくるまでに介在する大人の判断が、必然的に多くなる。当然マンガ家が描きたい内容があっても、それが社会的に「子どもにふさわしくない」と判断される恐れがあるときは出版される前にストップがかかるだろう。「それが本当にふさわしくないか」を検討するのではなく、「ふさわしくない」という世間の反応を心配するのである。これでは既成概念を覆えすような新しい発想の創作物は生まれない。作家の奥田継夫は著書『少年の性』において、過去に児童文学を執筆する上で出版社から次のような制約を受けたと書いている。ただし時期などの詳細が明らかでないので「こういうことがあった」という一例にすぎない。

   喧嘩をさせても、刃物やピストルを使わせない。血を流させない。
   六年生ではまだキスをさせない。
   戦争などの残酷場面でも、手足がちぎれたり目玉がとびださないようにすること。
   病人は暗く暗く持っていかない。絶望の末、孤独の果に死なさないこと。
   これだけでも、喧嘩・セックス・病気ということになるが、ききだせば、さらに項目はふえるにちがいない。

 マンガはこれまで何度も地方公共団体に「有害図書指定」を受けるなど、社会上のタブーをものともせずに表現を貫いてきたところがある。もちろんいきすぎた面も多くみられたが、その反骨精神こそがマンガの持っているパワーの素だともいえる。そこで私が選択した主要マンガ雑誌における主張や風刺対象をみていくことで、マンガの送り手がどういったことを問題にしているのかを調べることにした。数はそれほど多く見つからなかったのだが、雑誌による性格なども反映していて興味深い。観察された事項は具体的には巻末付録に示してある。


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