第4章 まとめ

1. マンガ分析から出てきたもの

 子どもが興味をもち、自主的に読んでいるマンガの価値を認め、(たとえそれが大人には不可解なものであろうと)子どもを「教育」しているのだという事実に鑑みてマンガと子どもたちの関係を検証し直すことが本稿のねらいであった。現代のマンガ雑誌の内容からさまざまな考察を行ってきたわけだが、現代のマンガの量を考えればとてもこれが決定的な論考になりえるわけもなく、一つの報告例にすぎない。しかし現代の子ども向けマンガの傾向を大まかに捉えることは出来たと思う。

 それでは副題のとおり、マンガの「功」の部分と「罪」の部分に分けて、今まで述べてきたことを簡単にまとめておこう。

 「功」の部分としては、現実にあるさまざまな規制や抑制がない世界をマンガのなかで体験することで、そこに「精神的な居場所」を確保できるところ。また、付録調査結果からわかるとおり扱われる題材が非常に多岐にわたっているため、日常生活では縁がない世界を疑似体験して知識と経験を深める機会を提供している点。「性」に関わる話題をはじめとして、事実をありのままに描くことで、現実に起こっていることを平等に考えられる土台を作ったこと。視点の切り替えが容易で、主人公以外の心のなかを明らかにすることで、それぞれの思惑の違いをはっきりさせることが出来るため、自分とは立場や性格の違う他者の気持ちを思いやる客観的な観察眼を養うことが出来る点。明るく元気な主人公像が、一つの生き方のモデルとして作用し、現実社会での積極的行動につながる可能性が挙げられる。

 「罪」の部分は慎重に検討すると明言してあるので、改めて検討上の留意点を振り返っておく。「大人側の論理ではなく読者であるすべての子どもの現在、そして長期的にみて将来の、精神的成長の妨げ、あるいは偏った価値観による心理支配、または精神的苦痛の起因になる可能性」を含むかどうかが判断上のポイントになる。

 幼年誌掲載の「児童向け」少年マンガにおいてはTVゲームなどの既成の世界観によったものが多く、作者の伝えたいことがはっきりしないものが多いことが不安点だが、私が幼稚で単純な面白さを十分理解できずに、「大人側の論理」に立った一方的な判断を下している可能性もあり、私の立場では正確に結論づけることは避ける。少年誌では性的な話題を正面から取り上げることが多いことはよいとしても、女性や同性愛者の扱いで、興味本位な描かれ方がみられる。これは「偏った価値観の植え付け」にあたるだろう。見方を変えれば少年マンガに描かれる「ぶさいく」「ホモ」「ロリコン」に該当する(と思っている)人達に対して、コンプレックスを刺激し、精神的苦痛を与えることになる。その他の少女誌においては特に差別や偏見を助長するような表現は見当たらなかったが、昔からの「恋愛」をテーマにしたマンガの多さは、全ての読者に「女の子は恋をする」という図式を無意識に植え付けているといえないこともない。男が「恋愛」を気にする生き方も、気にしない生き方も両方選択できるようになったのに対して、女の側はまだまだ「女」のしがらみから完全に自由になりきれないようだ。それでも、確証はないが一時期ほど「恋愛」一色ではなくなっているようで、これから少年誌なみに題材が多様化していく傾向は感じ取れる。

 マンガ分析をとおして、今の子どもたちが何を求めているのかという点に関しては、次のようなことが浮かび上がってきたように思う。すなわち、能動的で個性的な主人公像は「主体としての自己」を、同性・異性・親・兄弟はては動物に対するまでの友情や愛を描く物語の存在の多さは「心の交流」を、常識や良識を逸脱した行動や、性などのタブーの無効化は「社会規範の外に出た行動」を、それぞれ求めていることの表れである。マンガに描かれる世界は、つくりものであるが故に窮屈な現実から逃避させ、癒してくれるファンタジーの世界として機能する。   

 マンガを読むことは感情体験の一種であり、想像力を発揮して仮想現実の世界で遊ぶことができる。そしてそのことによって理想を具体化し、現実を打破するきっかけを築くことにもなる。子供時代は特に多種多様な体験をすることが重要であるから、マンガのなかでの体験が現実の自分への活力を生み、積極的行動につながっていくきっかけになればよい。その積み重ねから、最終的には何事も自分自身で判断し、行動できるようになる。
 なお、マンガばかり読んでいて活字の本を読まないと心配する言説に対しては、その逆を衝く意見が出版関係者や研究者の間で出てきている。七島伸治・高岡書店営業次長のコメントを『マンガの現代史』から引用しよう。

   「朝日ソノラマ文庫や角川文庫のSFを中心とした客層とコミックの客層は重なり
  あってますし、その層を対象にした商品構成が大事になる。若い人間の活字離れなん
  てことがいわれましたが、決してそんなことはなかった。コミックの読者は、興味さ
  えあれば活字の本にも手を伸ばすんです」

また佐藤忠男はすでに1973年にこういっている。「今日マンガしか読まないと嘆かれている子どもは、昔ならマンガすら読まなかった子どもなのではなかろうか」と。

 マンガは文字になじまない人や抽象的な事項に対する理解力が十分でない人たちにも受け入れられ、それぞれが興味・関心をもてる領域を開いてきた。まだ未熟で成長過程にある子どもがマンガに興味を示すのは当然であり、望ましい面も多くある。子どもはマンガを読むことで学び、夢を育てている。


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