1.3 月刊「コロコロコミック」について
 
 創刊は1977年で創刊号の表紙を飾ったのが「ドラえもん」。「500ページ近いボリュームのうち2/3は藤子不二雄作品だった」 ようだ。季刊から隔月刊を経て79年4月号から月刊になる。「コロコロコミック」を扱った最新雑誌記事によると「今ではメディアミックス系ホビーマンガ誌としての地位を確立。今年(97年)の9月号では200万部という最高の売り上げを記録した。」「我が国の小学生の数は男女合わせて現在約840万人といわれている。男子小学生にターゲットを絞っているコロコロの購買層は、単純計算で半分の420万。200万部売れたということは、そう、彼らの2人に1人はコロコロコミックを買っている計算になる」ということだ 。

 特徴としては、掲載マンガの主人公キャラクターが全員登場するにぎやかな表紙、平均800ページ弱の分厚さと10月号で総計128ページを数えるフルカラーページの多さ、しつこいまでの「ポケモン」特集を筆頭に充実したゲーム情報、読者参加イベントの多さ、毎号ついている綴じ込み・袋とじの特集、そして巻頭カラー部分がおもちゃ広告のオンパレードである点だ。時代の子どもたちの特性とニーズを捉えた誌面作りが部数拡大に貢献したことは間違いないが、「コロコロコミック」編集部が今の子どもをどのように捉えていたか、編集長のコメントからひろってみよう。

  今の子供たちの好きな二字熟語についてアンケートをとったところ、「自由」が最
  も多かったんです。それからマンガに求めていること、これは「いろいろな情報を得
  たい」「マンガを読んで大笑いしたい」の2つでした。ここから見えてきた子供たち
  の姿というのは、「口には出さないまでも大きなプレッシャーを抱えて生活している
  子供たち」でした。だから僕は、とにかく子供たちに楽しんでもらえる雑誌をつくり
  たいと考えたんです。
(雑誌『comicnavi』p127の三浦卓嗣現編集長へのインタビュー記事より)
 
 現代の子供に対する観察とマンガがどのような役割をはたせるかという認識は、「子供の居場所づくり」を論点とする本稿の観点と同じである。そして読者参加イベントも創造力を働かせて自分のオリジナル作品を仕上げて応募するというスタイルが多く、「個性を生かす」という現代教育の「新学力観」に適合する。しかしそれらが既成の商品の購入を前提に語られており、完全におもちゃ会社の広告戦略の上にのっかっている点が不安点だ。たとえばゲーム史上最高売上本数を達成した「ポケットモンスター」 に関していえば、同誌は同系統の別冊誌と連携してゲームの発売にあわせてマンガの掲載を始め 、その後誌上でゲームの特別バージョンを限定販売するなど、ブームに多大な貢献をした。現在連載中の23本のマンガのうち、5本はゲームソフトとの「タイアップマンガ」である 。もちろん「コロコロ」の情報記事を発展させて子供たち独自の遊びに発展させていくこともあるし、既成のゲームも友達同士集まって遊ぶ一つのきっかけになるだろう。反面共通の遊び道具をもっていないが故に仲間になれない子ども、物質的な豊かさで気を紛らわす安易な現実逃避を繰り返す子どもを生むなど、精神的な荒廃がいわれる今の子どもを救えるかどうかには疑問がある。さらに、表紙に「ポケモンミュウ10万人プレゼント」と端的にしか書いていないが、本紙の内容をみれば実は千葉の幕張メッセまで足を運ばなければならないとわかる(10月号の例)といった、表紙文句が非常に「釣り文句」的なところなどは、騙されたと感じる子どもも多いのではなかろうか。

 掲載マンガの内容について触れよう。題材は趣味の分野の中でも「レース」「ヨーヨー」「釣り」「野球」と広がりがあり、また一号のなかに「事件編」と「解決編」を収録した推理マンガもあるが、特定ゲームソフトに題材をとったものが4本もあるなど、偏りもみられる。「うんち」「おっぱい」「ちんちん」「ハナクソ」などの「下品ネタ」が中心のマンガが2本あるが、女の子を性的対象とみたところはないし、タブー視されていることをあっけらかんと言ってのける爽快さに面白さがあると思われ、一定の価値観の押し付けというよりも価値観からの解放という側面から評価したい。詳しくは後の性表現を論じる項目に譲る。

 主人公の設定は全て男の子で、うち小学生が9点と圧倒的。次いでゲームのキャラクターが4点ある(詳しくは付録3参照)。傾向としては大体「劣等生」で「非現実的な夢の世界で自由な行動をとる」タイプが半数近い作品で描かれる。絵柄は丸くて簡単な絵が多く、人間でないマスコットキャラクターのようなキャラクターは大体子どもでも真似して描きやすいものが揃っている。しかし逆に、ストーリーがあまり複雑にできないせいか、見た目の「かっこよさ」を求める傾向も強い。

 主張・風刺は幼年誌なので直接的に語られる。風刺としてはプロ野球のジャイアンツ低迷を皮肉ったものがあったがここで取り上げる必要はないだろう。主張は青木たかおの『ミニ四ファイターV』で、1話分のテーマを「自分のつくったマシンでレースに参加する」意義にあてたもの(10号)。「親がつくったマシンでレースに出場する選手が増えている」ことを踏まえて、主人公のファイターが「自分でつくったマシンで競争するからこそおもしろい」と説く。子どもに身近なミニ四駆を題材に、結果としての勝ち負けより参加する心構えのほうが大事だと教えるところは、ホビー誌としての性格をもつコロコロならではである。しかしホビーに関する予備知識が必要となるホビーマンガが多いのは、そういう分野に縁遠い人間を読者対象から外してしまっている。いくら子どもの間で流行しているものでも、全員が知っていること、また好きなことではない。知らない子どもがそれらを読んで「わからない」と劣等感を抱く、また「知らなくちゃいけない」という強迫観念を抱くことは十分に一つの価値観の押し付けになる。

 ジャンル分けではギャグマンガが圧倒的に多く、「おかしなキャラクターが中心となって笑わせる要素が多くでてくるもの。一話完結型のお話なら最後にオチがつく。」という定義では1号あたり13点が当てはまる(4コマ4点を含む)。「マンガを読んで大笑いしたい」という読者の要求に答えようとしたものだろう。笑いの効用については2章で述べたとおりだが、「コロコロ」の提供する笑いが読者の明るさへとつながっていけばよいのだが。見た目のインパクトや使い古されたネタに頼ったギャグが多く、私には新鮮味がないように感じられた。題材は現実の枠を破壊することを愉しむ「下ネタ」や、話の流れに対して脈絡がない一発ギャグとしての「しゃれ」ばかりで変化に乏しい。同じメディア・ミックス誌でもエニックス発行の児童誌「少年ガンガン」には個性的なキャラクターとナレーションのツッコミが魅力の『魔法陣グルグル』 (図版:1巻p160)という作品があるのに比べて、ネタがわれていて単調である。

 全体的に流行の題材をそのままマンガ化したものが多く、作者の独創的な世界観に根差したものがみあたらないため、限定された読者層にしかアピールするものをもたない。また一話完結型の話が多く、子どもが続きを楽しみにするような魅力的なストーリーをもったものがない。このことからメディア・ミックス誌としては成功でも、マンガだけに注目すると個性が感じられず、その場限りのギャグで気を紛らわせるレベルにとどまっているようである。


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