1.2 週刊「少年マガジン」について

 1959年の創刊でマンガ雑誌週刊化の先駆者的存在。68年に連載が始まった『あしたのジョー』(原作:高森朝雄、画:ちばてつや)は熱狂的支持を獲得し、主人公のライバル力石徹の葬儀がマンガを離れて実際におこなわれ、多数のファンが参列するほどだった。この頃から大学生に「右手にジャーナル、左手にマガジン」と必携書扱いにされるなど大人の読者層が拡大したのだが、低年齢層の読者は反対に離れていった。現在の誌面状況を見ても、小学生が主人公のマンガはなく、中学生を扱ったものでも『シュート!〜蒼きめぐり逢い〜』(大島司)1作である。しかもこの作品は高校時代から始まった本編の回顧編で、時代をさかのぼって中学時代のエピソードを描こうとしたものだ。

 読者層は前段落で述べたとおり「ジャンプ」より少し高めの中学生から大人までの男性、および一部の女性と推測される。現編集長の野内雅宏も、中高生が読者層の中心なのでそれに合わせた編集方針であると語っている 。「マガジン」は比較的女性作家の数が多く、作家名からの判断になるが1号あたり平均で男性作家18名に対し女性作家は4名いる(「ジャンプ」では1名)。作家名に関しては、現在『Jドリーム』連載中の塀内夏子が、87年から連載開始した『オフサイド』で最初男性名の「塀内真人」を名乗っていたが途中で「夏子」に改名したことがある 。女性作家が「マガジン」に進出する土壌が整った証といえよう。

 同じ少年誌として「ジャンプ」と比較したときのいくつかの特徴としては、まず第一に女性アイドルを巻頭グラビアで特集し、表紙も飾るといったケースが多い。それから欄外のハシラ(漫画のコマ枠の横の空いたスペース)にちょっとした特集記事がある。ここではたとえば30号では「恐竜のヒミツ大追跡」というトピックのもとに、いろいろな雑学が縦2行にわたって紹介されているが、マンガにたちきりが多いので量的にはそれほど多くない。それから事実をもとにした「ドキュメントコミック」を時折掲載することも特徴。28、29号では滝口岩夫の著作『戦争体験の真実』と、彼への取材をもとに戦争を描いた「戦火の約束」(前・後編合計117ページ)が掲載された。ほかにもエイズや障害者を題材にしたものが過去に描かれており、マンガの特性を生かして普通の生活をしていてはわからない他者の理解を助ける情報を積極的に読者に与えている点で評価できる。それから人気にシビアな「ジャンプ」では考えられないことだが、「取材のための休載」が毎週2、3点ある。「ジャンプ」に比べて作家がじっくり創作活動に打ち込む体制ができているようだ。なお、懸賞の賞品や広告の内容については「ジャンプ」と大差ない。

 マンガが扱う題材については多岐にわたっているのだが、次の題材が連載中の2作品に共通して見られる。「野球」と「料理」である。なお、読み切りをいれれば「Jリーグ」と「史実」もこれに加わる。「料理」マンガは20年前には珍しかったが現在はポピュラーな題材で、今までに『美味(おい)しんぼ』(作:雁屋哲、画:花咲アキラ) や『ミスター味っ子』(寺沢大介)がアニメ化されているほか、同誌連載中の『中華一番!』もアニメ化された人気作だ。「食事をつくる」ことは生活をしていく上での基本的な家事であり、マンガやアニメを通じて子どもでも大人でも料理することに興味をもつことはのぞましい傾向である。

 主人公は全作品男性で、なかでも高校生が9作品と圧倒的に多い。その設定で多くみられるのは「スケベ」なことと「能力が高いこと」で、「ジャンプ」と似ているが、こちらはほとんどが「現実に可能な範囲内で能力が高い」という点で、現実離れした作品が多い「ジャンプ」とは異なる。絵柄は「リアル」で「スピード感がある」という点で「ジャンプ」以上に該当作品が多い。つまりより現実的なテーマをスリルあるエンターテインメントに仕上げているということができる。
 そのせいか作品に込められた主張・風刺も「ジャンプ」より多く観察される。むつ利之の『上を向いて歩こう』では少女マンガではよくある「母子の絆」というテーマを主人公の性格を表すエピソードとして少年マンガ風に描いているし、破天荒な教師が主人公の『GTO』(「グレートティーチャーオニヅカ」の意)では教育問題を風刺している点が多い。本論冒頭でマンガ批判の不当性について述べたが、それとは逆にマンガ家の立場で「教育評論家は建て前ばかりで本当に子どものことをわかっていない」という作者の意識をぶつけた部分が『GTO』のなかにかなりある。これはマンガ家が「評論家」に対してもっている固定観念の安易な描写ともとれるが、一方で現代教育に対するアンチテーゼとしての性格をもっている。『GTO』の主人公鬼塚がしていることはかなり無茶苦茶で、現実の教師がとり得る教育方法ではないだろうが、しかし「教えたいこと」の本質は共通しているように思う。

 28-30号にかけてのストーリーはこうである。舞台はとある私立の中学校。陰気な男子生徒吉川のぼるに対してPTA会長の娘上原杏子(あんこ)たち数人の女子グループは下半身を裸にして写真を撮り、さらに皮膚に落書きするといったいじめをして愉しんでいた。それを知った鬼塚(22歳新任男性教師)と男子生徒数人は彼女らに対し吉川がされたことと同じことを復讐する(次ページ図版。28号-p150)。これを聞いた教育評論家でもある杏子の母親が鬼塚をやめさせようと学校に乗り込んでくるというすじがきだ。この『GTO』に限らず、行動がハチャメチャでささいな悪事は働いているが基本的な人間としてのやさしさや自分が正しいと思ったことを貫く屈強な精神は持ち合わせているという主人公が少年マンガには非常に多い。この事件解決後の「森高先生」(女性教師)のセリフにこうある。「‥‥不思議な男(ヤツ)だよねぇ--鬼塚クンって」「デタラメでテキトーでスケベで本能にチュージツで、おおよそ教師なんてガラじゃなさそーなのにね」「気がつくと味方が‥‥一人‥また一人って増えてるんだよね----っ」(「マガジン」30号p127-)。ここでは人間鬼塚の魅力について敢えて間接的な表現しかしていないが、ここまで読んできた読者には十分わかっているはずだ。「デタラメでテキトーでスケベで本能にチュージツ」でも、大事なところはもっとほかのところにあるのだというメッセージは、読者が自然体でいることを受け入れ、同時に人間として「大事なこと」について考えさせてくれる。

 ほかにマンガの内容にある程度共通する傾向といえば、スポーツものの多いなか逆境からの復活、逆転劇という要素が強い。「根性」というと古くさいが、精神的な強さが最後の最後で勝負の明暗を分ける決め手になる物語は、実際にそのような立場に立たされたときに前向きに考えられる強さ、そこまでいかなくても成功する可能性を信じられる強さを育むのではないか。そしてそういった要素の強いマンガが好きであればあるほど、「あの主人公のようになりたい」という思いが、自分を成長させる積極的な生き方につながっていくのではないかと思う。

 それから友情物語が多いことも特徴のひとつだ。その対象は人間にとどまらず、動物にまで拡大している。本島幸久は競馬に題材をとった『蒼き神話マルス』の単行本のなかで、「異類友情もの」が描きたかったから競馬マンガを描いていると語っている 。その言葉通り作中のマルスという馬と少年馬守(まもる)は単に競争馬と騎手という関係を越えた、熱い友情で結び付いている(前ページ図版『マルス』1巻-p109)。実際の競馬には大衆的な立場で見るとギャンブルという印象が強いが、競馬マンガというジャンルにおいては「馬」の方に視点があるためにギャンブルのイメージは払拭され、馬と馬同士、そして馬と人間とが繰り広げるドラマへと変貌する。同じ競馬マンガでこちらはギャグ要素の強い『みどりのマキバオー』がアニメ化されたが、こういった従来とは違う視点を知った子どもたちにとって今までの「競馬」がまた違ったイメージで捉えられるようになったことは歓迎すべきことである。


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