1.1 週刊「少年ジャンプ」について

 隔週刊で1968年に創刊して翌年から週刊化。週刊マンガ雑誌としては後発にあたる。他の少年週刊誌が対象年齢層を引き上げてきた時期に、小学生をメイン・ターゲットに据えることで他誌と共存しようとした。初期から新人発掘に力をいれており、それが結果的に「ジャンプ」の部数拡大の原動力となった。発行部数は78年に280万部を記録して国内定期刊行物中最も売れている雑誌となって以来、順調に上昇を続け、95年に653万部という史上初の驚異的部数に達した。日本の人口を1億5千万人とすれば、約23人に1人が雑誌を買った計算になり、さらに回し読みを考慮にいれれば想像を絶する読者数になる。しかし『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』などの大型連載が終わったこともあり、絶頂期を境に発行部数は急激な落ち込みを見せ、ついに97年には週刊「少年マガジン」に発行部数で追い抜かれた 。98年新年号の推定発行部数は「マガジン」が445万部、それに対し「ジャンプ」は415万部である 。

 ほかの雑誌と比較したときの特徴としては、まずアニメ化された作品が多いことがあげられる。分析対象号に連載されていたものでアニメ化されているものは98年1月10日までで6点ある 。マンガとアニメでは内容が変わることがあるが、ともあれ連載作品の社会的認知度は非常に高いといえよう。読者の人気には非常に敏感に反応し、人気投票などの読者の支持率をみる試みが多い。アンケートの質問項目も、「ジャンプ」の誌面全体についてや、「アンケート」自体についての質問があり、積極的に編集スタイルを変えていこうという意識が感じられる。読者の投稿でつくる読者ページを単行本化して売り出したのも「ジャンプ」だけだ 。『ジャンプ放送局』という読者参加型企画だったが現在はなくなっており、それに代わる読者ページができているものの、前回を超える新しいコンセプトを打ち出しきれず以前ほどの勢いはみられない。「なかよし」の読者ページの性格がこれに似ているので「読者ページ」の効果についてはそこで扱う。ほかには「小説・ノンフィクション大賞」という賞を設けたり、「ジャンプJブックス」で人気マンガの小説化を進めるなど、マンガ雑誌にしては珍しく活字分野にも力をいれている。

 読者対象は小・中学生から大人までの男性と一部の女性。女性に対する特別な配慮は感じられないのだが、「かっこいい」男性キャラクターが女性にも受けているらしく、たとえば『るろうに剣心』第1巻で作者の和月伸宏はファンレターの9割方が女性からであることを明らかにしている 。広告は「脱毛」関係が一番多く、ほかに「ひげそり」「自動車」「整髪料」の広告がよくみられることから、青年以上の男性読者が一番の広告ターゲットと判断するが、マンガのなかで広告効果を狙ったものはない。主人公の性と年齢はばらけているが、高校生男子が一番多かった。

 マンガのなかに含まれる主張や風刺としては、30号の読み切り『COSMOS』が「殺し」を題材に「命の重み」を、29号『こちら葛飾区亀有公園前派出所(以下「こち亀」と略す)』が「ゼネコン汚職」の構造をわかりやすく解説するなど「政治腐敗」を扱っていたが(左図版参照p137、No29)、基本的に各作家がそれぞれの個性を生かした作品をそれぞれの価値観で描いているといった印象を受ける。各々の題材は多岐にわたり、細かい分類(スポーツなら名称、動物ものならその動物ごとに分けた)では全く重ならない。なかでも特異な存在である『こち亀』は毎回扱う題材が不定で、「プリクラ」「たまごっち」などの流行やインターネットなどのデジタル関係から下町人情話まで、バラエティーに富んだ題材を確かな資料を元にとりいれて読者を飽きさせない工夫が凝らされている。この作品は96年に連載1000回を突破して以来、未だ(98年1月現在)継続連載中の長寿連載マンガである。

 掲載マンガの内容である程度共通するのは、まず主人公の設定としては「スケベ」なこととヒーロー性が強いことが挙げられる。ヒーローといっても普段は普通の人と変わらないか、むしろより間抜けでおっちょこちょいのケースが多い。絵柄はストーリーマンガでは劇画調の絵柄の作品が多く、特に桂正和は専門に美術を学んだだけあって非常に写実的な絵を描く(参考図版『I''s』1巻-p55)。ギャグマンガでは逆に単純で平面的だがキャラクターの個性が際立つような絵が多い。ただしどちらも絵よりは内容重視といった傾向が感じられ、内容の複雑な物語でも多彩な表情や画面構成、効果が素早い理解の助けになっている。また以前鳥山明の『ドラゴンボール』で見られたような、ネーム を排除して絵だけで見せる力技は観察されなかった。大体において絵よりむしろ一話一話の内容を重視しているようだ。

 ほかに内容面での傾向としては、実験的な作品が多く、また作中キャラクターの常軌を逸した行動が目立つ。木多康昭の『幕張』に特に当てはまるが、全く「タブーがない」ような内容になっている。セックスやホモセックスネタ、TVや他のマンガのパロディーをもとにギャグを作り出すスタイルは、性や他人に対するプライバシーを超越したところに成り立っている。ここまで常軌を逸しているとかえって現実感がなく、全て「ギャグ」として認識されるだろうが、こういった作品が受け入れられるという点は非常に現代的だ。つまり性に関するタブーがなくなって援助交際などが問題となった現代若者像を象徴しているように思える。

 若者社会において急激にタブーがなくなってきたことがもたらした意味について、佐藤忠男はこういっている。「子どもたちの精神生活の中から、知らないことに対する恐れの感覚、知ってはならないことに対する恐れの感覚は減少していっている」結果、「一面では、恐れる必要のないものを恐れなくなる、ということで、知識の民主化をもたらす」が、一方で「かつては無条件にそれを恐れるようにと言葉で教えられたものもタブーではなくなり、からかいやひやかしの対象になってゆく」 のだと。基本的には子どもたち自身に今までタブーだったものの判断が任されたということだ。「してはいけないこと」のなくなった無秩序社会はお断りだが、「知ってはいけないこと」の幅が狭まって「知識の民主化」が進むのは、ある程度歓迎すべきことと思われる。ただその際「知る必要のないこと」が不必要に広まることは避けねばなるまい。性的表現についてはあとで他の作品とまとめて扱うことにするが、性に関する知識はある程度知っておく必要があろうし、性差別解消のためにも、最も「知識の民主化」が図られねばならない領域であるだろう。しかし『幕張』にみるような、特に風刺するといった意味もなく有名人の名前が頻出するのは、どうも不必要なことに思われる。場合によっては作者の価値観の押し付けになるだろう。

 ほかには、戦いをモチーフにしたものが多いせいもあり、たちきり(通常の枠内よりコマが大きくなってはみ出してしまうこと)や見開き1コマ、人物のアップなどで画面に迫力を出すことが多い。写植フォントの多様さも雰囲気づくりに一役買っていて、マンガが持つ表現の多彩さがうかがえる。

 少年誌であるせいか「女の子」の描かれ方は「かわいい」と「ぶさいく」の2極観によっている場合がある。象徴的なのが『とっても!ラッキーマン』での2人の登場人物、「奇麗田見代」と「不細工です代」だ。(図版資料「ラッキーネットワーク」3号、『ラッキーマン』1巻より)全体的に女性キャラクターは胸の大きさを強調するケースが多く、少女マンガと好対象だ。ヒロインは自己を主張する勝ち気な性格が多く、少年誌だからといって特に男性中心の物語が展開するわけではない。

 昔からの編集方針である「友情」「努力」「勝利」の3つのコンセプトは、まだ一部のマンガに踏襲されているものの、それにこだわらない新しいマンガが増えている。桂正和は雑誌連載デビュー作は『ウイングマン』というアニメ化もされたヒーローものだったが、ここ数年一貫して恋愛をテーマにした作品を発表している。こういった恋愛もので心の機微を描くような作品は、斎藤次郎によると少女マンガの発想と方法からきているらしい 。うすた京介の『すごいよ!!マサルさん』は前に少し触れたが、今までにない新感覚のギャグマンガだ。

 「はじめに」で述べた「経験の共有」を前提としたマンガを代表するものが、『幕張』と『すごいよ!!マサルさん』である。特に後者の「ギャグ」のネタとなっているものには、数年前、作者が子どもだった頃のマンガ・アニメ・ゲームなどで、当時の子どもたちになじみの深いものがよくある。それらは案外アニメの再放送や、古本マンガの子ども社会での流通などをとおして、子ども世代の申し送り事項のように時代を隔ててもある程度知られていくものだ。具体的な例を『すごいよ!!マサルさん』第1巻から抜き出してみる。( )内が当時の子どもには常識的だった元ネタである。

「そんな事はさせないぞっ!!」(アニメ『パーマン』絵かき歌より)
「うまい棒」(年間約4億本を売る子どもの定番的駄菓子)
「額に『肉』」(マンガ『キン肉マン』の主人公の特徴)
「へのつっぱりはいらない人」(アニメ版「キン肉マン」 のセリフによる)    「近藤真茶彦」(歌手「近藤真彦」のもじり)
「ライダーの変身中は決して攻撃したりしない」(特撮TV番組『仮面ライダー』  より)
「マンガ道場」(TV番組『お笑いマンガ道場』)などほか多数。

連載開始当初から「ジャンプ」のなかで常に巻頭近くにあり続けた人気作は、単に意味不明なだけでなく、読者の相槌を要求するタイプのマンガでもあった 。


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