3. 少女マンガについて

 少年誌も一部の女性購買層を持っているが、少女向けには専門の少女マンガ誌が存在する。資料4を見てもらいたい(次ページ)。男性マンガ誌は割合の違いこそあれ、男女双方に読まれているのに対し、女性マンガ誌は基本的に女性だけに読まれている。単行本になると作品の魅力によって男性読者にまで広く読まれているものもあるが、雑誌だけを考えればほとんど女性の聖域である。マンガ単体をみるのではなく、雑誌の中のマンガ分析をするにあたって、「少女マンガ雑誌」の雑誌としての性格を浮き彫りにし、少年マンガ雑誌との比較を試みる。

 日本においてこれまで少女マンガは非常に独自のジャンルを築き上げてきた。世界の中でも「少女マンガ」というジャンルは日本にしか存在しない といわれ、非常に興味深い分野である 。裏を返せば日本の特殊性が「少女マンガ」を成立させた部分も少なからずあるということだ。

 「りぼん」「なかよし」 を代表例として分析するが、これらの創刊は1955年と現代の雑誌群のなかではかなり古い。少女マンガは当初ちばてつやや手塚治虫、赤塚不二夫ら男性作家陣によって描かれていたが、やがて女性作家による女性のためのマンガが台頭してくる。そこに描かれるのは主に少女のあこがれの投影であった。たとえば「70年代初期に盛んに描かれたのは『仕事』マンガである。現在ほど女性の社会進出が進んでいなかったからこそ、少女が憧れた世界だった」 という。このことは逆に女性の社会進出を促す要因のひとつともなっていただろう。マンガが読者のあこがれを増幅して読者側に返すというメディアの受け手と送り手の関係は大きく注目されてしかるべきだ。また少女マンガの作品世界のなかでは外国を舞台にしたものが数知れず、少女の異国への憧れを如実に反映している。しかもそれは特に西洋に偏っており、特に70年代の代表作にはその傾向が著しい。具体的には『キャンディ・キャンディ』 、『カリフォルニア物語』 、『ベルサイユのばら』 などの著名作がいずれも該当する。マンガのなかの状況設定・舞台設定には、特に読者の置かれている状況との関係において非常に見るべきものがある。特に少年マンガに比べて読者層が限定される少女マンガでは、マンガ分析を通して現代の少女の状況にできる限りせまりたい。

 少女マンガの変革のなかで24年組 と呼ばれる戦後世代の作家たちが大きな意味をもってくる。『70年代マンガ大百科』 の特集記事における増山のりえ のインタビューでの言葉から、当時の少女マンガ界の現状がかいまみえる。「少女マンガって少年マンガに比べて、すごく下に見られてたんです。」「やってはいけないことっていうのがいくつかあって、”少年を主人公にしてはいけない”、”SF&時代ものはダメ”、”キスシーンはさりげなく”。こういった制約のせいで、描きたい作品があっても発表できない」という状況だった。たとえばその後少女マンガ界の主流になる「少年愛」を真正面から描いた竹宮恵子の『風と木の詩』は、最初の50ページが完成したまま長い間掲載されずにいた。しかし読者に支えられながらタブーを打ち破った新進作家たちは、ついにこれまで少年マンガが受賞し続けてきた小学館漫画賞を76年に萩尾望都が『11人いる!』 で、77年に竹宮恵子が『地球(テラ)へ…』 で受賞するまでになる。

 彼女らのもたらした少女マンガ史に残る特徴的なテーマ「少年愛」 は、「少女」像を探る上で大きな手がかりになると私は思っている。その影響力は少女マンガの同人誌マーケットで「やおい」マンガ が圧倒的隆盛を誇っていることからも明らかだ。

 長年にわたって同性愛が少女マンガのなかで堂々と描かれてきたことは、今振り返って考えてみればこれまで公然とまかり通っていた同性愛者差別の否定につながっていく要素があったようだ。朝日新聞社が1997年12月におこなった定期世論調査では、同性愛について、「高齢層を中心に『理解できない』の声が多かったが、女性の三十代前半までは、逆に『理解できる』が過半数を占めている」 という結果が出た。少年愛ブームを生んだ『風と木の詩』の連載開始が76年であるから、97年に35歳の女性が13歳の時ということになり、調査結果の同性愛肯定層と少女マンガで「少年愛」を学んだ層が一致する。同性愛者差別解消については、人権尊重の面から学校教育現場でもここ数年積極的に取り扱っていこうという動きがみられ、その点で既存の価値観を破壊して新しい表現分野を開拓した少女マンガの功績は評価できる。

 しかしながらそれは結果としてついてきたもので、ここで取り上げるべきは読者である少女に対して、「少年愛」というテーマがどのようなアピール・ポイントをもち、なぜ大反響をもって受け入れられたのかという点だ。「少年愛」が少女からの熱狂的支持を得て、少女マンガの一大分野を築きあげた要因について、女性側の意見として提示したのは荷宮和子である。彼女は著書『少女マンガの愛の行方』において、『風と木の詩』のなかの台詞から「少年愛」が少女の熱狂的支持を得た要因を説き明かす。長くなるが重要なところであるので引用しておく。< >内は作中の登場人物パスカルが、セルジュとジルベールの男同士の関係を心配する友人に対して言う台詞である。

  <女とちがって妊娠する心配はないんだからけっこうだよ>
  そうなのだ、少女たちが男同士の恋愛漫画に夢中になる理由の一つはこれなのだ。
  男女の恋愛の話は、どんなに美しくたって妊娠する心配がある。そう、妊娠とは少女
  にとって心配なのだ。いや、今の日本で普通に生きている女ならば、限定された条件
  が整った場合以外、妊娠とは心配ごとである。その意味を下衆な想像でしか理解でき
  ない男の人は、「中絶する女性の割合は、未婚者よりも既婚者のほうが高い」という
  事実について考えてみること。

  女の子にとって、妊娠の心配に触れていない男女の恋愛物語など、現実感のかけら
  もない絵空言である。しかし、ばか正直に描かれても、そんなものは見たくないのが
  本音だ。ではどうしたら?
  
  男同士なら絶対安心。自分とは体が違う別の生物のお話なのだから、何が起ころう
  と平気。泣こうが、わめこうが高見の見物。この感覚こそが、『風と木の詩』が女の
  子に熱狂的に支持された要因である(裏返して言えば、『風と木の詩』の第五部、セ
  ルジュの父母の恋愛物語が、その完成度の高さにもかかわらず、あまり支持されな
   かった要因でもある)。

  (荷宮和子『少女マンガの愛の行方』p76より。傍点は原文のまま。)

もう一つ荷宮によって「被害者にしかなれない存在からの解放」という指摘がされている。
このときは山岸涼子の『ル・コック』における主人公ミシェルの相手の男セルジュの台詞に題材をとっている。

  前述のとおり、ミシェルは美少年である。したがって、その趣味のある男たちから狙われる。
  そこで彼は、それを知った上で、つまり自分の体を武器にして生きていく。

  これを「女」に置き換えるとどうなるだろう。不幸な境遇の女が、自分の美貌と肉体を武器に生きていく。
  考えてみれば、そんな話は今までにゴマンとあった。
  だが女たちはこの手の話を、たとえエンターティメントとしてでも楽しんでこれたのだろうか。

  正直言って、それは「否」だったろう。なぜならば、「好きではない男とセックス
  するときには苦痛がある」と(好きではない男とセックスした経験がない女でも)
  思っているからだ。

  また、経験の有無を問題にしなくとも、次の事実は間違いない。すなわち、女は売
  春に関して決して加害者にはなれない、ということだ。もちろん今は、無理矢理身売
  りされて売春をさせられる時代ではなくなったが、どうしても男と同じことはできない。
  女は売春や強姦の加害者にはなれないのである。

 男社会の中で長い間虐げられてきた女の欲求不満が少女マンガや大人向けのレディースコミックに表れていることは確実である。今回はレディースコミックの内容分析は対象外であるが、男を従えるSMや性的欲求を爆発させたようなもの、育児の苦労が描かれたもの、社会の規範にはまらずに「女」としての生き方を貫く物語など、女性の現実の立場とは逆の、ある種の理想が盛り込まれているものがほとんどだ。少女もまた「女」としての社会的不待遇を感じているとすれば、結果的に理想の男女関係がマンガのなかで描かれることになる。このことは女性としての社会的生活を前にした少女たちに対して「女」としての自信をつけさせ、希望をもたらすことであろう。これは結果からいえば「性的タブー」の透化や「生き生きとした女性キャラクター」という点に表れていた。

 さらに両性の平等は女性だけでなく、男性と同時平行で進められなければ意味がない。分析結果から少女マンガの男性キャラクターの性格はおおむね「やさしい」という一点に集約する。これは少年マンガでの理想の女性像と一致するものだ。一方少年マンガで描かれるヒロインが、勝ち気な「男性的」な側面をもっているなど、両性の理想の異性像が重なりはじめている。と同時に「男」や「女」であることの社会学的性差にこだわらず、それぞれの個性を追及することをよしとする傾向も現れてきた。

 91年暮れに「なかよし」で連載開始され、翌年3月にTVアニメ化された『美少女戦士セーラームーン』(武内直子) にしても、今までの「紅一点」的ヒロイン像の逆転現象として捉えるとき、少女の圧倒的支持を受けた理由が推し量れる。「男性」「女性」という枠を越えて、それぞれの消費するマンガ文化のなかで読者は平等に抑圧されない自分を演じることが出来る。ここにおいてマンガの「子どもの居場所づくり」としての機能は、抑圧された性からの解放という点から達成されているのだ。このことにみられるような、固定された男女観の崩壊を促す要素を現代マンガの中にみることを、特に少女マンガにおいては重要視して分析を試みた。またその一方で、「物語」分析と重なるところがあるが、少年マンガを含めた全ての作品において提示された次の各条件を吟味したジェンダー・チェックを行った。 その条件とは、第一に性別役割の描かれ方、第二に女の価値と男の価値のバランス関係、第三にどのような行動特性がみられたか、そして第四に「女らしさ」「男らしさ」の表現の有無である。詳しくはその結果から次章にて述べる。


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