はじめに

 今日において、マンガは子ども社会の中で市民権を得てからずいぶん経ち、子どもに身近な「子ども文化」のひとつとして十分教育的機能を果たすようになった。しかし、現代の子ども向けマンガの内容についてまでは、親や教師など子どもを教育する立場の者の大部分が知らないのが現状だろう。そして知らないままに子どもの教育上マンガを問題視してあれこれ議論することが、決して珍しくない。

 マンガ文化全体を見れば、日本は質・量ともに世界でもトップレベルを誇り、マンガは日本の誇る文化であるという意見が堂々とかわされるようになって久しい。出版科学研究所の出版指標年報のデータによると1986年に一般書籍とマンガ単行本の売上高が逆転し、以来その差は増え続ける一方だという(近年のデータを下に示す)。各地にマンガ資料館がたち、全国紙にマンガ専門の記事の連載がされるなど 、マンガの社会的地位の確立はほぼなされたといってよい。しかしそのことが同時に、子ども向けのマンガの価値を積極的に見出だすことには結び付かなかった。過去には「児童文学などの良質な児童文化を駆逐する俗悪文化」として槍玉にあげられたことがあったし、今でもマンガ一般について、教育的にはあまりよろしくないという一般的見解が残っている。


(図省略)
資料1.『コミック学のみかた。』p107「コミックス新刊点数」

 しかし大人たちの思惑とは裏腹に、子どもたちはマンガを好んで読み、現代のマンガ雑誌隆盛にあらわれているような巨大なマーケットを形成した。「マンガの神様」とよばれ、マンガ文化の牽引者であった手塚治虫は、マンガが攻撃された理由についてこう語っている。「なぜとばっちりをうけたかというと、漫画が売れていたからでね。漫画が売れてたっていうのは、漫画がその時点で児童文化財のなかで一番おもしろいものだったからです。とにかく、こんなにおもしろく、こんなに安い文化財はなかったんです」 。マンガは子どものためにかかれ、子どもによって支持されるという循環を繰り返し、ここまで発展した。子どもが育てたこのメディアを、それほど軽く見ていいだろうか。子ども自身によって選ばれ購入されるマンガだからこそ、大人側の押し付けではなく本当に子どもの欲求を満たすものを敏感に察知して提供しえたのではないか。その結果、他の伝統的教育メディアが長い間子どもを社会的に教育する機能を求められて次第に型にはまっていった裏で、マンガはそれらがなしえなかったことを批判されながらも行ってきた可能性を含んでいる。

 また、子ども向けマンガ雑誌は、テレビアニメやテレビゲームなど、子どもの周辺メディアと同列に位置し、商業的にも内容的にもつながりをもっている。雑誌はそれらの特集を組み、マンガはアニメ化やゲーム化を通して商業的価値を高める。この連関はマンガ雑誌編集サイドが「子ども文化」に精通していなければならない必然性を表している。このように、子ども向けマンガ雑誌は、特にマス・メディアの分野で読者である子どもと文化領域を共有する、非常に子どもに身近な文化の送り手であることはいえよう。

 マンガ雑誌編集者の馬津一はこう言っている。「なぜ漫画は、蔑視、あるいは俗悪視されてきたのか。なぜいつまでも文化の底におかれ続けなければならないのか。映画にも名作があれば駄作があるように、漫画にも同様のことが言えるだろう。内容についてひとつひとつ検証していくことを抜きには、”漫画とは”という形で語れないはずであり、また、その良さもわからないはずである」 と。私は全くそれと同意見をもって、現代のマンガをひとつひとつ見ていくことで、子ども向けマンガ文化に正当な評価を与えたいと思う。その際、特に今までのマンガ批判が陥りやすかった、次の2つの点に注意せねばなるまい。

 1つは論者が現在のマンガに親しんでいないにもかかわらず、昔の自分の漫画読書体験であらかじめマンガというものを枠にはめて観てしまうことだ。もし今の大人が現在の若者の価値観を自分たちの理解の外にあるものとして見ているなら、かれらが好むマンガも自分たちの世代と全く違う新しいものに変わってしまっているだろう。新しいマンガを読むためには新しい感性がいる。それをもたずに「どこが面白いのか」と首をかしげている人間に、本当にそのマンガを深く論じることなどできるはずがない。また日本マンガ研究家フレデリック・ショット も言っているがマンガはアニメと違って主体的に読み解く力を必要とするため、ある種の「漫画文法」に慣れていないと読みづらい 。

 もう1つは、マンガを研究する前から論者のいいたいことが大体決まっているため、自己の言い分を証拠立てるような要素をたくさんのマンガのなかから恣意的に選り抜くことで、マンガを叩き台として利用してしまう危険性である。部分的なセリフ回しや絵柄、連載ものなら1回分のストーリーだけでそのマンガ全体を論じれるほど、現在のマンガは単純ではない。作者の隠されたメッセージやセリフの言葉通りではない裏の意味は、似た様なマンガを数多く読んでいる本物の愛読者でないとわからない場合がある。映画や文学作品でも同じことがいえるが、「あるもの」それ自体を抜き出して批評するのではなく、全体の「文脈」で捉えるようにしなければ、見当違いの批評をすることになり、作者やファンの怒りをかうことになるほか、社会的誤解を生み出し、あるマンガ作品や作家に対して不当なレッテルを張ることになる。マンガの表現形式は長い時間をかけて変化してきたし、さらに子ども向けマンガであればその世代の流行などが話題としてふんだんに盛り込まれることになる。それを素早くキャッチしながらすいすい読み進めていくには、論者がよほど「子ども文化」に精通している必要がある。たとえば雑誌掲載のギャグマンガのなかには、同じ雑誌内の他のマンガのパロディーがみられることがあるが、これなど雑誌を読まずそのマンガだけ拾い読みしても気付きようがない。同様にたとえばあるTVゲームに題材をとったマンガをそのゲームを知らない人が読んでも、前提としての体験や知識が伴わないので理解できない。また最近のギャグマンガでは若い作家が多く出てきたこともあって、過去の「子ども」のなかで話題だったものが作品中に再生される、「経験の共有」を前提としたマンガもある。

 以上のようにこれまでのマンガ批判が陥りやすかった問題点を述べてみたが、私が今までに継続的に、そしてリアルタイムにさまざまなマンガを読んできたこと、現在の子どもとのジェネレーション・ギャップが小さいことが、今述べた2つの問題点をクリアすることになるのではないかと思う。私自身マンガをよく読み、またテレビゲームなどの今非常に子どもの人気を集めている最新メディアの受容者側の人間であるという点から、もちろん子どもと同じ視点とまではいかないが、それに近い視点から現代のマンガをみることができると思う。マンガ全体を子ども社会の「文脈」のなかで捉えてはじめて、大人にではなく子どもにとってのマンガ文化の価値が見えてくる。特に90年代は、子どもたちのあいだにコンピューターを組み込んだ玩具が新手のコミュニケーションツールとして普及するなど、急激に遊び環境が変わってきた時代である 。それを知識として知っているか、それとも実感してわかっているかで、どれだけ子ども社会の実情をふまえて論の内容を掘り下げられるかが変わってくるだろう。

 それでは、本稿の具体的な内容、構成について説明しておく。

 まず、対象となるのは子ども(厳密には小・中学生)を読者対象としたマンガの表現法、物語としてのマンガの内容であり、それらをさまざまな角度から吟味することによって現代の子ども向けマンガ文化の全体像を探り、あわせて読者である子どもとの関係を解き明かすことが目的である。

 その手段として主要マンガ雑誌の掲載マンガの分析を行う。個々のマンガの作品論については今まで何度もなされているが、ある年齢層対象のマンガ雑誌のリアルタイムの内容分析は、私の知る限り今までにされていない。現代の子どもとマンガ文化との関係を捉えるには時々刻々と変化しているリアルタイムの雑誌分析を連続して行うことが一番だと考えた。対象となるマンガ雑誌は発行部数が多いものを、幼年誌、少年誌、少女誌全てをカバーするように選んだ。誌名は次のとおり。

   月刊「コロコロコミック」(小学館)
   週刊「少年ジャンプ」(集英社)
   週刊「少年マガジン」(講談社)
   「りぼん」(集英社)月刊
   「なかよし」(講談社)月刊

これらは数あるマンガ雑誌のなかでも人気の高い(=売れている)ものであり、多くの子どもたちに読まれていることから、「子どものマンガ研究」に際して申し分ないと思う。

 サンプル数は各誌連続する号を3冊ずつ(1997年に発行されたものに限る)。なるべくその前後の号も参照する。なおこのほかの子ども向けマンガを掲載している雑誌(総合誌含む)、および関係する諸雑誌と過去の連載作品も参考程度にチェックする。ストーリーもので単行本化されているものは特にその基本設定を知る上でなるべく最低でも単行本の第1巻を読むことを心がける。4コママンガは少数であることと、内容が読者の好みの反映というより作者のアイデア勝負であること、それほどの人気を集めているものはなく、誌面にバラエティーをもたらす清涼剤のような役目を担っているにすぎないことから、今回は対象外とする。同時に3号分の掲載紙数があわせて30ページ未満のものも詳細な検討は行わない。

 全体の進行としては、1章でまず本論文におけるスタンスを示し、調査の力点を明らかにしておく。つづいて2章では、子ども向けマンガの内容や読者との関係性がどのように変わってきたか、簡単な歴史をふりかえった後、現在の状況を踏まえてどのような要素を軸にマンガを分析するかについて述べる。その後3章で、前掲のマンガ雑誌の分析結果に関する考察を行う。最後に4章で全体のまとめをして終わることにする。まとめでは、マンガと子どもたちの関係を考える上で、現代の子どもたちにとって何が重荷となっており、またどのような状況に向かうことが望ましいのか、突き詰めていえば「子どもたちは何を求めているか」を分析結果から浮かびあがらせ、マンガ文化がその性質上どこまで子どもの役に立てるのか、教育的見地から探ることにしたい。


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