にかとまの法則(^_^)
 2003/05/24追加

 

その1.教師およびリーダーに必要なのは、絶対性。
現場の優秀な先生方、また多くの分野で精力的に活躍されている方々を見るにつけ、痛烈に感じることです。
そしてまた、にかとまに絶対的に足りないところだと思います。

この「絶対性」には、正統的というか、王道的な「絶対性」(=「存在的絶対性」)と、個性的というか、変化球的な「絶対性」(=「行動的絶対性」)の2とおりがあると思います。
私には、おそらく前者の「絶対性」は獲得不可能でしょう。性格的にやさしすぎるというか、優柔不断である点と、子供に対して同胞意識(子供の上に立とうとせずに、一緒のラインに立とうとする価値観?)をもっている点の2点からです。
演技でなら、可能性はありますが(^^;

「正統的な絶対性」(=「存在的絶対性」)というのは、極端な例で言うと、
  容貌がりんとして気品や威厳が備わっており、
  発したことばは対象者の胸に突き刺さり深く心を揺さぶることができ、
  逆らいがたくあらがいがたくまた自ずから信頼し進んで服従せざるをえない、
いわゆるカリスマということになります。
これを持っている人は、まわりの空気を変えてしまう、無言の強制力を有した人です。
これには、もって生まれた資質もかなりの程度関係してくるんじゃないかな?
こういう人は、生まれてから今まで、精力的に活動されていて、かなりの実績を蓄えておられるように見受けられます。
いかにも頼りがいのありそうな人がなりやすいです。
本人が何もしなくても、まわりによって勝手に指導者にまつりあげられてしまうほど、その存在自体が絶対的です。

また、その一方、こういう完璧なカリスマ的指導者とはほど遠いけれども、魅力を感じる教師(またはリーダー)というのは、存在します。
それは、その人なりの個性を鍛え上げ、少なくともある一つの行動に関しては他人より数段上で目立つ、という人です。
これが、後者の「絶対性」(=「行動的絶対性」)になります。
先生でいうと、「おもしろい先生」とか「困ったとき必ず助けてくれる先生」とか、一面が強調されていてわかりやすい先生のことです。

そもそも、いわゆる、「抽象」の反対が「絶対」なわけで、すべてにおいて曖昧を排除して総合的人格の模範となるような人が、前者の絶対性をもった人、ある部分においてその人の意志がハッキリ表れており、それに賛同する人においては信用できるだけの価値を持つ人が、後者の絶対性をもった人、だといえます。
なんにしろ、あいまいなだけで態度がハッキリしない人には、誰もついてこないということですね(^^;
私にとっては、大いに思い当たることがあり、反省しているのですが、この絶対性の発揮は、なかなか難しいです。
まずは自信をもつことだと思ってます。

 

その2.発達は螺旋状を描く
 回り道こそ、重要なものです。
1直線に向かって目的に向かってまっしぐら、余計なことにはわき目も振らずに必要なことだけをやる、というのは確かにすばらしいことだし、そういう人を尊敬しますが、あることをなそうとしたときにそのことだけしか見えていないと壁にぶち当たる、というのも事実かな、と思います。
他人に対する評価も、目的に対する客観的な到達度だけで計れない。
回り道しながら成長していく、ということを認めることは、総合的な学習の必要性につながっていきます。                    (2001/2/14)

 

その3.大事なのは「肝」
 でよく考えることが大事だとか、で感じ取ることが大事なのだということをよく思うし、よく教わります。別にそれはもっともなのですが、肝っ玉で勝負することから逃げて、美辞麗句の世界に逃げ込んではいないだろうか、と自問自答します。
 辞書で調べると、「肝」には「いちばん大切な点。かなめ。」という意味があります。人間を突き動かすもの、突き動かしているものとは、「肝」だといえます。思っているのに、感じているのに、気づいているのに、わかっているのに、うまく言い表せない、うまくいかないというときに、抜けているのは、まさに「肝」の部分ではないでしょうか。理屈抜きで、「よく言い表せないが、こう思う!こうだろう!こうじゃないのか!?」ということをぶつける、その裏に確かな「肝」の据わり方を見るとき、人は動かされるのではないでしょうか。
 頭で考えて実践を伴わないという反省がしきりなだけに、今後わすれずにおきたい大切な「肝」であります。                  (2003/05/24)
その4.?????
 

 

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