暗い森 神戸連続児童殺傷事件 読書メモ

2000/06/15

ここでの私のコメント、また同書内の参照・まとめは、
今後の教育を模索するためのヒント、参考情報とすることを目的としています。

同事件は社会的関心の高かった事件ですが、事件そのものについて多くは語りません。
ここに書くのは部分・断片的な情報ばかりですから、事件に関心がある方は誤解を避ける意味でも、同書をお読みください。

基本的に私は、裁判結果ならびに容疑者・被害者の人権を尊重し、
本件の記録・反省をもとに、現代社会の病理を少しでも癒すべく社会的・教育的問題解決を図り、
少年犯罪の再発を防止することが第一と考えています。

記載内容に関してご意見がございましたら、メールにてお願いします。

        ●要因について     ●心の教育とは     ●野次馬のモラル    ●少年法改正論議


●要因について(ここに挙げたのは、私がとりわけ注目したい点だけに限っています。ほかにも複雑な要因があります。)

p79

        幼くして殻に閉じこもり、仮面をかぶる習性を身につけた少年が覚えている懐かしい思い出は「祖母の中の背中の感触」だという。

p107-108

        少年は中学生になっても、寝るときにはいつも犬やアヒルのぬいぐるみ数個をベッドの四隅に置いていたという。
        →精神鑑定の鑑定書:「母子一体の関係の時期が最低限の満足を与えていたかどうかを疑わせる一つの示唆」

        少年はふだん、自室の窓にかけた分厚いカーテンを閉めきっていた。
        「太陽の光は好きじゃない。雨の方が心が安らぐ」
        「光を浴びると、とても嫌な気分になる」
        こうした言動もまた、少年の深層心理に子宮回帰願望があることをうかがわせる。

祖母の死が一連の事件の直接のきっかけかどうかは不明ですが、
幼少期のスキンシップ(触覚に訴えるコミュニケーション)の必要性を感じずにおれません。

「深層心理に子宮回帰願望」というのは、現代人の中にはけっこういるのではないかと思います(大人でも)。
例えば、押入の中を好んだり、室内遊びばかりしたり、朝ふとんの中からなかなか出られなかったり。
私なども朝はなかなか起きれないで困っています(笑)。

そういったものが足りない者に対しての救済策は、
教育分野では家庭に依存する部分が大きいですが、社会的に大人向けの解決策を模索するならば、
リラクゼーション産業(マッサージ等)に期待する部分が大きいと思います。
今後流行っていくのではないでしょうか。

p183

        精神鑑定にあたった医師の言:

        「少年は発達、成長の過程に現れたいろんな岐路で、はからずもすべてマイナスの方向に進んでしまった」

p187

        事件の教訓を記者から問われて、野口善国弁護士はこう語っている。

        「少年の抱えていた深刻な問題点を周囲が十分に理解できずに、結果的に不適切な指導がなされた。
        いろいろなマイナスの環境が複雑にからみあって犯行に至った」

        「ひとつひとつのマイナス要因は、どこにでもありそうなもの
        それが、彼の傷つきやすい性格とかコミュニケーションがとりにくい性格、
        愛されていない、評価されていないという思いなどに重なってしまったのではないかと思う」

「はからずもすべてマイナスの方向に進んでしまった」というのは、本を読んで非常に強く感じるところであり、
誰にでも起こりうるという危険性を示唆していると思います。

 

●心の教育とは

97年8月4日 小杉文相は中央教育審議会に「幼児期からの心の教育のあり方」について諮問しましたが、
諮問理由に、「子供の問題は大人の問題」とする文相のスタンスが現れています。(以下、抜粋)

        「子供たちの心の問題は、反面、大人たちの心の問題でもある。
        大人社会にしばしば見られる自己中心的で刹那的な行動や、暴力や性的な情報が氾濫するような風潮が、
        幼児期から子供たちの心に色濃く影を落としている。
        大人たちは、確固とした信念をもって子供たちの心の育成に当たる姿勢を喪失しつつあるという指摘もある。
        社会全体が一体となって必要かつ適切な取り組みを進めていくことが、緊急の課題となっている」

p187-188

    臨床心理学者の河合隼雄さんの言:

        「今回の事件は、育児や教育のひずみが極端な形で出現したととらえるべきだ。
        親の多くは、勉強ができて大人に従う子供を育てることに熱中し、小さいときから悪いことを含めた自主的な経験を積ませていない。
        常に監視して行動を細かに規制すると、子供は思春期に突入した時に内から突き上げてくる不可解な衝動にどう対処していいかわからず、
        歯止めがきかなくなる。若者による残虐な事件の増加には、こうした背景がある。

        悪いことを奨励せよというのではない。
        限度を超えないように、親は子供の前に壁として立ちはだかる必要がある。
        そうすれば、子供は自分たちの社会の中で自然に自制することを身につけていく。

        社会全体が豊かになるに従い、親子関係が希薄になってきたことも問題だ。
        モノがない時代なら、かしわもちが食卓に並ぶだけで家中が感激を共有できた。

        今は違う。子供を生き生きとさせることが難しい。
        核家族化が進み、地域とのつながりも希薄になっている。
        親の役割が飛躍的に増大していることを自覚すべきだ。」

最後の文を受けて少し書かせてもらうならば、この「親の役割が飛躍的に増大」したことによって、
親はその責務を全うできなくなってきたのではないでしょうか。ただでさえ未成熟な親が増えている一方で、
子供のしつけに要求されるレベルがかなり異なってきているから手に負えなくなる、という傾向があるように思います。
これまでのしつけの基準が崩壊して、親も迷っているのでは?

こういったことから、
「ママさんネットワーク」と専門家やカウンセラーが地域住民の中に入っていくことの必要性をひしひしと感じますね。

 

●野次馬のモラル

事件が大々的に報道されたことにより、現地は混乱を極めたようです。
ここには地域住民、被害者の家族らに対する思いやりのなさがうかがえます。

p165-166

    インターネット上では、陰湿な「情報遊び」が始まった。
    掲示板に少年の名前を特定しようとする書き込みが相次ぎ、特定の姓を持つ住民の電話番号一覧が掲載されたりした。
    名前を出された家に嫌がらせの電話が殺到した。
    電話番号を変えると、今度は家の中をのぞき込む若者たちの姿を見かけるようになった。
    「ここ、犯人の家ですよね」
    若い女性が電車とバスを乗り継いで少年の家を見に来たのだと、けろっとして言った。

ばかなことはやめなさい(怒)!
罪の意識なく、こういった他者をもてあそんだり心をかき乱す行動ができる、こういう人間が多くいるのが、
私は現代社会の一番の病理だと思います。
こういうことをやっている大人が身近にいれば、そりゃあ子供も悪くなりますよ。

 

●少年法改正論議

p203-204

少年非行を「未成熟さゆえの過ち」ととらえ、更正を主目的として進められる少年審判では、
重大な事件で少年側が事実を強く争うような事態を想定していない。

少年が事実を否認した場合、はたして裁判官は真実を見極めることができるのか。
そんな危機感から、近年の少年法見直しをめぐる論議ははじまった。

最高裁と法務省、日弁連の法曹3者は、96年11月から、「少年審判に関する意見交換会」を、
おおむね月1回のペースで開催してきた。

その中で最高裁は、
複数の裁判官で審判する合議制を導入する▽一定の場合には検察官と弁護士がともに出席できるようにする▽審理に必要な期間は少年の身柄を拘束できるようにする
などの具体案を示した。

→私は、この具体案はなかなかいいように思うのですが、日弁連の反対もあって、少年法は未だ改正されていないようです。
なお、厳罰化についてもいろいろいわれますが、アメリカの例などをみると、さほど犯罪抑止力が上がるとは思えません。(p208)

参考リンク:(2001/2/10追加:上の文章を書くときに参考にしたわけではありませんが、検証内容に感銘を受けたので追加しました。)
 メディア検証
 『小林よしのり「新・ゴーマニズム宣言」における視点』〜神戸児童連続殺傷事件より〜

 個人サイト「流れる雲の海の下」掲載
 (群馬大学社会情報学部情報行動実験実習での共同レポート)


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