第3章 具体的提言

 

 では、1章で述べた「教育」の範囲内で、われわれがとりうる具体的提言を行うことで、本稿を終わりたい。

 文部省大臣官房調査統計企画課「平成3年度教育の国際交流に関する実態調査」によれば、
帰国児童生徒を別にした一般児童生徒で「国際問題に関心がある」者は高校生では約75%となっている。
児童を主体とした教育を考えてみても、彼らの要望に答えることが望ましい。

 ではどういった「国際交流」を希望しているのか。
同調査が「国際交流に関する希望」について調べたところによれば、
「外国に旅行したい」が約80%、「外国人と友達になりたい」が45%強、
「外国と文化交流をしたい」が20%弱であった(いずれも高校2、3年生の調査結果)。

これらを受けてホームステイなどの積極的な海外との学生の交換が望まれる。
真の国際理解を目指す上では、「派遣する」だけでなく「受け入れる」ことも積極的に行われなければならない。
しかもあまり欧米各国に偏りすぎてもよくない。
アメリカやイギリスなどとの交換留学がよく行われるのは、日本で英語教育が重視されている結果であるが、
「異民族」間交流という点から言えばむしろ勉強する機会のない国こそ積極的に対象とすべきだろう。

 文化という側面からは、特に子どもに身近なマンガに注目したい。

手塚治虫が「世界共通言語(エスペラント語)」と呼んだこのメディアは、
すでに日本のものが多く諸外国に流出し、世界的に読まれている。
特にアジア諸国では、著作権の解釈の違いから、ここ十数年、日本マンガの海賊版が安価で大量に普及したという。

マンガは紙媒体であるから、手軽で安価で、発展途上国での普及率もよい。
今はまだ日本文化を「異民族」側が理解する契機となるにすぎないが、
10年ほどたって、マンガで表現する能力を「異民族」側が身につければ、
マンガが「異民族」理解の大きな橋渡しになる可能性は十分にある。

今でも、たとえば韓国のマンガ家が日本のマンガ雑誌に連載をもつことは珍しくない。
また、国内少数民族であるアイヌ民族を扱った『ハルコロ』という作品があるなど、
マンガの物語世界の中には「異民族」的モチーフを扱ったものがあり、
「異民族」を身近に感じる好勉強材料にもなりえる。

 ともあれ、われわれが日常レベルでできることは、地球上の全ての民族を差別なく等価に見る姿勢を貫くことだ。
そしてなるべく他民族のもつ文化性を尊重し、それを理解するように努めなければなるまい。

それはなにも授業などで外国に対する知識を増やすということばかりをさすのではない。
大学祭などのイベントで設けられる外国人との交流の機会を積極的に利用したり、それを支援したりする、
また今まで味わったことのない外国の食文化を経験する、
外国が舞台の、または外国人による著作を読む、
テレビを利用して世界各地の情報を得る、
ほかにインターネットなどの国際情報網を利用した外国人との交流など、
機会だけなら現在の日本ではあふれている。
それを以前より少し気に留める程度で、意識的に「異民族」理解へつなげていけるはずだ。

 大学の授業では多民族国家アメリカの複雑な民族状況を見てきた。
その様相ははっきりいって日本とは比べものにならない。
しかし、民族問題がアメリカほど深刻でないわが国でも、やはり問題を抱えているのである。

本稿は「異民族」共存を考える上でのほんの一端をついたにすぎないが、
他国の状況を理解するための尺度として、それぞれの解決法を模索する上で役立つ内容を含んでいたのではないかと思う。

 

 

参考資料

『青少年教育データブック1994』国立オリンピック記念青少年総合センター

AERA Mook『コミック学のみかた。』朝日新聞社,1997

『外国の教科書の中の日本と日本人』石渡延男・益尾恵三編(一光社)1989

『ヒトラーの教科書』藤沢法暎(亜紀書房)1994

『角川新版国語辞典』久松潜一、佐藤謙三編、1982

『広辞苑』第四版(岩波書店)新村出編、1991

『日本国語大辞典』第六巻(小学館)、1973

『辞林21<机上版>』(三省堂)、1993

『世界大百科事典』第34巻、平凡社、1981

『日本大百科全書』第6巻(1985)、22巻(1988)、小学館

『ことばコンセプト事典』第一法規出版、1992

 

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