「マンガと子どもたち」配布版あとがき

(私の教育観が集約されていますので、ほぼ原文のまま転載します。)

 

 この卒論制作にあたって、多数の方にご支援、ご意見、ご助言を賜わりました。ありがとうございました。
内容的には雑誌やマンガの紹介といった色合いが濃く、論文としては不完全なものでありますが、
私にとっては書いていくうちにいろいろと発見がありました。
そういったところもふまえてまたもう少し深い議論を展開できればと思っています。
また読後の感想・意見などいただければ、参考にさせていただき、よりよいものに書きかえていくつもりです。
卒業後は神戸のゲーム会社で、コンピューターゲームの企画開発に従事しますが、
これ以後も在野の子ども文化研究者として、個人的に「子ども文化」について研究していくつもりですので、
応援していただけるとありがたいです。

 ただあまりにも「論文」として完成されたものを書く気はないですね。
教育というものは私は論理だけで成り立つものではないと思っているのです。

 卒論にしても論理を一切抜いてしまえば、子どもが好きだから子どもの周りの文化が気になったという
ただそれだけのことです。

小学校に教育実習にいったときに小学生と話をしていると「V6」という名前が出た。
私はそのときそれが何か知らなかったのでさびしい思いをしたことがあります。
別に知らなくてもどうってことないことなのですが、
知っているとそれだけ子どもとのつながりができるからうれしいわけです。
「子ども向けマンガ文化の実情を知る」という論文の名目も、私にとってはそういった意味合いが強いですね。

ただこういったことをする意義というのは、本当に今の社会ではあると思います。
「子ども文化」の実情なんて、私も卒論を書いてみて驚いたくらいだから、本当に大人はわかっていないと思うんです。
そんななかで大ブームになったものだけとか、問題が起きたものだけ取り上げて子どもの「教育」を考えていくのだとしたら、
それは現実の子どもから離れた、大人側の論理でしかありえない。

大人が子どもになれというのはむちゃな話ですが、
そういうことをする「子どもっぽい」研究者がもっと大人の社会で認められていいのではないか。
そして最終的には大人が子ども社会で認められるようになればいいと思います。
あくまでも「子ども主体」での教育を考えていこうというのがありますね。

 「あとがき」ですから好きなことを書かせてもらいますと、
基本的に子どもは純粋な感情的動物であるのに対して、大人は論理で武装をした感情的動物であり、
その考え方のすれ違いから全ての大人と子どもの軋轢が生まれるのではないでしょうか。

 サン=テグジュペリの『星の王子さま』のなかにこんな一文があります。
「おとなの人ってものは、よくわけを話してやらないと、わからないのです」。
象を飲み込んだうわばみ(へびの一種)の絵を大人に見せてもわからなかった、というこの冒頭部分は有名ですが、
大人は何でも言葉で理解し、また理解しようとすることを暗に示しています。

言葉とは論理です。
そして論理とは社会生活の前提になるものです。
しかしわれわれ人間は論理的正論を全て納得して受け入れるかというとそうではないのです。
それでも大人の社会では論理的に正しいものこそが正しいので、
われわれは感情を押し殺してストレスをためながら平然としていなければなりません。
ところが訓練のできていない子どもは論理よりむしろその裏にある感情に非常に敏感です。
子どもに対してやさしいふりをしていてもそんなのは子どもにかかれば簡単に見破られます。
学校の先生でも指導技術などよりも生徒に対する愛情や熱意のほうが子どもの人気を得るポイントになるようです。

 だから子どもとの関わり方においては「全ての子どもが平等に好きであること」を自然な形で態度に示せれば
それだけでOKなわけで、そんな環境に全ての子どもが置かれていれば
現在のような子どもの問題行動は起こらなかったと思うのです。

 このことは理想論で現実には不可能なことです。
しかしせめて、論理で説くよりは感情に訴えるほうがはるかに子どもの教育においては有効であるということを、
大人はもっと認識すべきではないかと思います。

学校で教えられることも、ほとんど「論理」ばかりだから子どもはいやになるわけです
(「論理」を教えるのが悪いわけではありませんが)。
まだ感情のある人間に教えられる分だけましですが、
臨機応変でない機械的な対応をとる大人はそんななかで敬遠されていきます。
こういった状況を考えてみると
論理(言葉)と感情(イメージ)の折衷物であるマンガが果たす役割が見えてくるのではないかと思います。

 私はたしかに卒論としてこの文章を書きましたが、しかし真の目的は子どもの教育にあるわけですから、
今度は同じ言葉で表現するにしても、「論文」という形式をとらず、子どもの心に届く「よみもの」として仕上げてみたいですね。
そして子どもたち自身の意見を聞いてみたいと思います。

私はほかにも子ども向けの詩を書いたり、曲をつくったり、ときには童話を書いて賞に応募したこともあります。
今度はゲームをつくることになるわけですが、やはり子どもが楽しめるものをつくりたいと思っています。
こういった経験が社会で生かされていくといいなと思っています。

 拙論を最後までお読みいただけたことを大変感謝しています。

 

1998年2月4日    藤原 友晴

(但、3月6日一部修正)


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